| [施設案内] |
「高天神を制するものは遠州を制する」といわれ、戦国時代に徳川・武田の両雄が浮沈を掛けて戦った一大決戦場で、山城としては東海一の堅塁を誇った。四方を急な崖に囲まれ、しかも遠く見通しのきくこの山城は、いかにも攻めにくい自然の要崖であった。 この城を巡る戦いは元亀2年(1571)総勢2万の兵を率いた武田信玄の来攻により始まる。当時徳川家に属していた城主小笠原与八郎はこれを撃退し、難攻不落の城としてその名を高めていった。 この戦いから3年後の天正2年(1574)信玄の志を次いだ勝頼が高天神城に来攻。小笠原与八郎長忠は二千の兵を以て篭城決戦をするが力尽きて開城。勝頼の軍門に下る。翌年、長篠の戦いに大敗した勝頼は、高天神を最後の砦として兵糧を搬入し、城の防御を強化していった。 一方、徳川家康は高天神を奪還すべく、その周囲に六つの攻撃用砦を築き、兵粮攻めによる包囲作戦を計画し、天正8年(1580)城内への攻撃を始める。 家康の兵粮攻めにあい、糧道を断たれた城代の岡部真幸は、城と共に全員討ち死にの決意を固め、天正9年(1581)3月22日、決死総攻撃を前に水杯を汲み交わしたといわれる。総数八百騎の城兵は徳川陣内に一斉に切って出て玉砕した。 現在は、当時の建物は無く復元もされていない。山頂には高天神社が祀られている。 |
| [コメント] |
陸軍の施設に使われていたこともあってか、ずいぶん荒れた感じがしました。この高天神城のことを書けば、一冊の本ができるくらい、色々な歴史をもつ場所なんでしょうが、この荒れ方はチョット残念。駐車場やトイレがしっかりと整備されているところを見ると高天神城跡には手を加えない方針かもしれないですね。下手な建物を建てるよりは、いいかもしれませんね。 駐車場は北と南に二ケ所あり、どちらからも石段を上ることになる。先が分らないので、上りはチョットきついです。 石牢址と、かな井戸をボーとし、見ずに帰ってきてしまった。チョット分かりにくい位置にあるので、高天神城に行くときにはお忘れなく。 |
| [アクセス] |
| JR掛川駅からバス、入山瀬経由大東町役場行き、高天神入口または土方で下車、徒歩20分。 |