| [施設案内] |
浜松城は、三方原台地の東南端にあって、徳川家康が築いた。家康は天文11年(1542)、三河国岡崎城内に誕生し、元亀元年(1570)29歳の時、長子の信康に岡崎城をゆずって、自らは浜松城に移り、天正14(1586)45歳で駿府城に入るまで、在城17年に及ぶ。有名な姉川、長篠、小牧、長久手の戦もこの期間におこなわれ、特に元亀3年(1572)の三方原合戦は、家康の生涯における難戦で、関ケ原合戦以上の戦だった。 城郭は、南北約500メートル、東西450メートルで、三方原台地の斜面に沿い、天守閣、本丸、二の丸、三の丸がほぼ一線に並び、梯郭式の築城法に属している。現存する石垣は、築城当時のままで野戦城にふさわしく粗削りの岩を使い、頑丈に構築してある。 明治維新以後、城郭は壊され、すっかり荒廃し、苔むす石垣にわずかに当時の面影を忍ばかりだったが、昭和33年春、旧天守閣跡に現在の新天守閣が再建され、昭和34年6月1日、市の史跡に指定された。 周辺は、浜松城公園として整備され、春にはソメイヨシノの咲く桜の名所である。 |
| [コメント] |
再建された新天守閣の中は、資料館になっていて鎧や武器が展示されている。残念なのは、木造ではなく鉄筋コンクリート造りだったこと。外から見ると小さいながら立派な天守閣ですが、中が鉄筋なのでありがたみも半分というところでしょうか。掛川城や、駿府城二之丸東御門・巽櫓のように木造で復元されたお城も増えてきたので、思い切って木造で復元なんて・・・無理でしょうね。次の修復のときにはぜひお願いします、浜松市様。 石垣は、形も大きさも様々な石が積み上げられている。特に形も整えてないのに、ちゃんとした石垣になっているのが面白い。「石垣の石を抜かないように」の注意書きには笑いました。石を抜く人がいるんですね。確かに簡単に抜けそうでしたけど。 周辺は浜松城公園として整備されているということですが、イマイチ。とくに日本庭園の池の汚さにはガッカリ。泳ぐコイの姿もよく見えない。もう少しがんばりましょう。 |
| [アクセス] |
| JR浜松駅から遠鉄バス15番・館山寺線ほか、市役所前下車。 |